我思う、故に我在り
私の好きな言葉です。
詩的な感じがしますがそうではなく、哲学者デカルトの言葉です。
シンプルでいて説得力があるのがいいですね。
常にわかりやすく相手に物事を伝えることをモットーにしたい自分にフィットします。
今はこんな本を読んでます。
哲学ですが一言で言えば「さくっと深く考えられる」(?)そんな不思議な本です。
書いた人の知性が凄いんでしょうね。それだけは確かだと感じます。
「自分の頭で考えたい」というワードに惹かれました。
大概その場の空気に合わせて過ごしてきましたので。
自分で考えると案外ろくなことにならない、、、というのはその先で諦めてしまったからなのか。
それはさておき、
「哲学とは自己鍛錬である。自分の思考を厳しく管理しなければならない。出任せを言って済ますことはできない。この思考の自己管理は非常に難しい。」ティム・クレイン
出任せを出任せじゃないと証明するにはどうすれば良いだろう。
そもそも、数学、物理、電気等の証明できるもの以外のもので出任せじゃないと言い切るのはとても難しい。
だから逆に言えば、出まかせはいくらでも言えるということになる。
言った者勝ちだ。どんどん言えばいいと思う。
出まかせ野郎が迷惑だと感じたらそっと閉じたらいい。
反論したっていい。
しかし賛同できる言葉もある。
哲学などの答えを求める思考というのは自己鍛錬以外の何物でもないと思う。
勉強も脳の筋トレだ。
脳がパンクしないように管理するための勉強もしなければならない。
つづいて、
「[魂]はまさしく肉体という牢獄に囚われている、、、現実そのままを探求するかわりに、牢獄の格子越しに覗き込まなければならない。」プラトン
プラトンの言う魂とはよくお墓にありそうな
This?
な訳はないと思うのだが、そもそも魂なんて感じることもないと自分は思っている。
風や電気、ウイルスは目に見えなくても「有る」という意味で納得できるが、これは何か難解すぎて納得できない。
難しいからではなく、相性というか肌感覚的にわからないというものもあるだろう。
例えば魂を思考に置き換える、
するとソウルミュージックは思考の音楽となる。
魂は思考ではないのだなと思う。
ちなみにソウルミュージックは好きです。
こんなことを考えてるとふと1ページでもキーワードの電験参考書でも読んだ方がいいのかなと思ったりする。
ただやはりこういう本は本当に理解しながら読まないと意味がない気もする。
しかし何度も流し読みすることでわかるかもしれないとも思う。
この本を読むことの方が私にとって自己鍛錬だなと思う。